第5話 ノアの事(2)
休日の新宿は溢れかえる人の波である。
待ち合わせは分かりやすく新宿西口の交番前、という事になっていたが、目的の交番前に付く前に何人もの人と肩をぶつける事になった。
待ち合わせの時間に5分ほど早く到着する、彩夏はまだいないらしい。
大体にして大学のときから彩夏は待ち合わせの時間通りに来た事がない、いつも10分くらい遅れて走りこんでくるのがパターンだ。
「ごめぇん!遅れたぁ!」と言って汗をかき、それでも満面の笑みで待ち合わせ場所に来る彩夏を期待していた。
新宿西口交番前は待ち合わせを待つ人がそこらじゅうに点在して、それぞれが思い思いの時間のつぶし方をしている、携帯を見る人、音楽を聞く人、文庫を開く人、何もしていない人。
僕はそういう人間観察が好きだ、人が何を考えてるのかを考えるのが好きだ。
自分自身が確固たる自分というものを誇示できない性質なので、どうしても人の顔色を伺って生きる癖みたいなものが付いてしまった。
ノアと居てもそうだ、ノアの考えや行動が自分の潜在意識から生まれたものだろう、という漠然とした認識はあるけど、日々ノアの行動は僕の予想を超えている気がする。
ノアの事を考え出したのは就職してすぐ位だ、住み慣れたアパートの住み慣れた部屋、でも日常の生活は入社を境目に圧倒的に激変した。
変化が嫌だったわけではないが、変わらない環境と変わりすぎた生活の境目が欲しかった。
そのときに想像したのが、単純に理解してくれる彼女がいたらなぁ、という事だ。
今まで恋人がいなかったわけではないが(高校時代に二人、大学時代は彩夏たちサークル仲間には内緒で付き合った人が一人いた、2週間で別れたが)
やはり女性と付き合う、というのは苦手だった。
何しろこっちの思惑を簡単に飛び越えるのが女性というものだと思う。
まともに会話しようとしても興奮していれば支離滅裂な倫理観を押し付けてくる。
落ち着かせようとすると「馬鹿にしないで!」と殴られたのはいつまでたってもいい思い出にならない。
まぁ、僕が過去に付き合った女性が特別だったのかも知れないが、なんにしろいい思い出という物は無い。
それでも人間というのは因果なもので、一人で居たくない時もある、それもしょっちゅうだ。
ただですら奥手で人の顔色を伺うタイプの僕が出会いも少ない中、自分とピッタリ会う女性を探すのは至難の業である。
だから妄想の彼女を作ることにした、所詮マスターベーションの延長のようなものだったが、それはそれなりに僕は楽しかった。
面白くも無いテレビを見ながら「これ面白くないね」と独り言を言い、それに対して僕の彼女だったらどう答えてくれるかな…と想像する。
そんな日々を繰り返していくと、僕の妄想彼女、ノアは段々と形を成していった。
人間は成長するものだと思っているが、日々妄想を繰り返しているとその練度も上がっていくらしい。
シミュレーションに次ぐシミュレーションはより高度な意識下の脳内プログラムを生み、見えないものも見えてくる「ような」気がするのだ。
ノアはすでに僕の中ではなくてはならないものになっているし、彼女の発言は僕の意識化の考えを発見させてくれたり、わかりきってる事を再確認させてくれたりするのだ。
それ以上に僕は彼女に癒されている、客観的に見れば自分の意識で自分が癒されているんだから、これ以上お手軽で簡単な事は無いだろう。
ただ一ついえるのは、ノアは所詮僕の妄想ながら僕自身がノアを「彼女」と形容するように
ある部分既に別人格として捉え始めていることだ。
それくらい僕の生み出したノアという仮想人格はリアリティを帯びている、ノアはもう僕の妄想では無く。
僕の恋人だ。
「すいません、今何時でしょうか?携帯の電源が切れちゃって」
不意にかけられた言葉で思考を断ち切る、見ると小柄な女性が申し訳なさそうな顔で僕を見ている。
言われて左腕の時計を見る、長い時間考えていた気がするが、実時間にするとほんの1~2分程度のものだったらしい。
「7時58分ですね」
答えると声をかけてきた女性は礼を言い足早に立ち去っていった、彼氏との待ち合わせにでも遅れそうなのか?と思う。
そういえば僕とノアが恋人同士であっても、待ち合わせに遅れるなんていう事はない。
勿論僕自身がそれを望めば可能ではあるんだろうが、それは予定調和で行われるイベントであって、ハプニングではない。
ノアは僕が望めば現れるし、望まなければ現れない。
往々にして内気な僕は彼女を家の外に連れ出すような事は無く、彼女の生息区域は僕の古いけれども住みやすい8畳の部屋とアパートの中、近くのコンビニくらいのものだ。
「よぉ!恵一!」
その時後ろから声をかけられた、振り返るとそこには彩夏がいた。
薄手のブラウスに濃い目のベージュのパンツ、大学時代は絶対に履かなかった低めのパンプスを履いている。
「どうしたよ彩夏!時間通りじゃんか!」
「あのね恵一、私もれっきとした社会人、特に時間にうるさい出版業界なのよ?」
「それは失礼した」
ぞんざいな物言いといい、腰に手を当てて話す癖といい、彩夏は2年前から全く変わってなかった。
それはそれで僕を安心させた、彩夏から久々に大学のみんなで集まろうという話が来たときに懸念したのはそれだった。
僕だけが変わらないままなんじゃないだろうか?みんなが僕の届かないような社会人としての成長を遂げていたら僕はどうしたらいいんだろう?
そんな不安があったので僕は彩夏に「前もって打ち合わせしよう」という口実の元に彩夏と二年ぶりの再会を新宿で行う事にしたのだ。
ノアは不安がっていた、確かに過去に僕は彩夏に心惹かれていたが、それはそれでもう過去の話だ。
でもノアが不安がるという事は、僕自身が心のどこかで不安だったという事なのか?
「さあ行こう!お店適当に予約しておいたからさ、安くてそこそこ美味しい店!」
彩夏が先導するようにエスカレーターのほうに向かう。
「了解了解、せっかちだな彩夏は」
僕は後を追おうとする、彩夏は慣れた足つきで人ごみを避けていく。
その人ごみの中、見慣れた顔と目があった。
連れてきてないのに。
人ごみの中にノアが居た。
To be continued…
待ち合わせは分かりやすく新宿西口の交番前、という事になっていたが、目的の交番前に付く前に何人もの人と肩をぶつける事になった。
待ち合わせの時間に5分ほど早く到着する、彩夏はまだいないらしい。
大体にして大学のときから彩夏は待ち合わせの時間通りに来た事がない、いつも10分くらい遅れて走りこんでくるのがパターンだ。
「ごめぇん!遅れたぁ!」と言って汗をかき、それでも満面の笑みで待ち合わせ場所に来る彩夏を期待していた。
新宿西口交番前は待ち合わせを待つ人がそこらじゅうに点在して、それぞれが思い思いの時間のつぶし方をしている、携帯を見る人、音楽を聞く人、文庫を開く人、何もしていない人。
僕はそういう人間観察が好きだ、人が何を考えてるのかを考えるのが好きだ。
自分自身が確固たる自分というものを誇示できない性質なので、どうしても人の顔色を伺って生きる癖みたいなものが付いてしまった。
ノアと居てもそうだ、ノアの考えや行動が自分の潜在意識から生まれたものだろう、という漠然とした認識はあるけど、日々ノアの行動は僕の予想を超えている気がする。
ノアの事を考え出したのは就職してすぐ位だ、住み慣れたアパートの住み慣れた部屋、でも日常の生活は入社を境目に圧倒的に激変した。
変化が嫌だったわけではないが、変わらない環境と変わりすぎた生活の境目が欲しかった。
そのときに想像したのが、単純に理解してくれる彼女がいたらなぁ、という事だ。
今まで恋人がいなかったわけではないが(高校時代に二人、大学時代は彩夏たちサークル仲間には内緒で付き合った人が一人いた、2週間で別れたが)
やはり女性と付き合う、というのは苦手だった。
何しろこっちの思惑を簡単に飛び越えるのが女性というものだと思う。
まともに会話しようとしても興奮していれば支離滅裂な倫理観を押し付けてくる。
落ち着かせようとすると「馬鹿にしないで!」と殴られたのはいつまでたってもいい思い出にならない。
まぁ、僕が過去に付き合った女性が特別だったのかも知れないが、なんにしろいい思い出という物は無い。
それでも人間というのは因果なもので、一人で居たくない時もある、それもしょっちゅうだ。
ただですら奥手で人の顔色を伺うタイプの僕が出会いも少ない中、自分とピッタリ会う女性を探すのは至難の業である。
だから妄想の彼女を作ることにした、所詮マスターベーションの延長のようなものだったが、それはそれなりに僕は楽しかった。
面白くも無いテレビを見ながら「これ面白くないね」と独り言を言い、それに対して僕の彼女だったらどう答えてくれるかな…と想像する。
そんな日々を繰り返していくと、僕の妄想彼女、ノアは段々と形を成していった。
人間は成長するものだと思っているが、日々妄想を繰り返しているとその練度も上がっていくらしい。
シミュレーションに次ぐシミュレーションはより高度な意識下の脳内プログラムを生み、見えないものも見えてくる「ような」気がするのだ。
ノアはすでに僕の中ではなくてはならないものになっているし、彼女の発言は僕の意識化の考えを発見させてくれたり、わかりきってる事を再確認させてくれたりするのだ。
それ以上に僕は彼女に癒されている、客観的に見れば自分の意識で自分が癒されているんだから、これ以上お手軽で簡単な事は無いだろう。
ただ一ついえるのは、ノアは所詮僕の妄想ながら僕自身がノアを「彼女」と形容するように
ある部分既に別人格として捉え始めていることだ。
それくらい僕の生み出したノアという仮想人格はリアリティを帯びている、ノアはもう僕の妄想では無く。
僕の恋人だ。
「すいません、今何時でしょうか?携帯の電源が切れちゃって」
不意にかけられた言葉で思考を断ち切る、見ると小柄な女性が申し訳なさそうな顔で僕を見ている。
言われて左腕の時計を見る、長い時間考えていた気がするが、実時間にするとほんの1~2分程度のものだったらしい。
「7時58分ですね」
答えると声をかけてきた女性は礼を言い足早に立ち去っていった、彼氏との待ち合わせにでも遅れそうなのか?と思う。
そういえば僕とノアが恋人同士であっても、待ち合わせに遅れるなんていう事はない。
勿論僕自身がそれを望めば可能ではあるんだろうが、それは予定調和で行われるイベントであって、ハプニングではない。
ノアは僕が望めば現れるし、望まなければ現れない。
往々にして内気な僕は彼女を家の外に連れ出すような事は無く、彼女の生息区域は僕の古いけれども住みやすい8畳の部屋とアパートの中、近くのコンビニくらいのものだ。
「よぉ!恵一!」
その時後ろから声をかけられた、振り返るとそこには彩夏がいた。
薄手のブラウスに濃い目のベージュのパンツ、大学時代は絶対に履かなかった低めのパンプスを履いている。
「どうしたよ彩夏!時間通りじゃんか!」
「あのね恵一、私もれっきとした社会人、特に時間にうるさい出版業界なのよ?」
「それは失礼した」
ぞんざいな物言いといい、腰に手を当てて話す癖といい、彩夏は2年前から全く変わってなかった。
それはそれで僕を安心させた、彩夏から久々に大学のみんなで集まろうという話が来たときに懸念したのはそれだった。
僕だけが変わらないままなんじゃないだろうか?みんなが僕の届かないような社会人としての成長を遂げていたら僕はどうしたらいいんだろう?
そんな不安があったので僕は彩夏に「前もって打ち合わせしよう」という口実の元に彩夏と二年ぶりの再会を新宿で行う事にしたのだ。
ノアは不安がっていた、確かに過去に僕は彩夏に心惹かれていたが、それはそれでもう過去の話だ。
でもノアが不安がるという事は、僕自身が心のどこかで不安だったという事なのか?
「さあ行こう!お店適当に予約しておいたからさ、安くてそこそこ美味しい店!」
彩夏が先導するようにエスカレーターのほうに向かう。
「了解了解、せっかちだな彩夏は」
僕は後を追おうとする、彩夏は慣れた足つきで人ごみを避けていく。
その人ごみの中、見慣れた顔と目があった。
連れてきてないのに。
人ごみの中にノアが居た。
To be continued…
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